元寇「元寇防塁と「子年(ねのとし)の大風(おおかぜ)」

元寇防塁の築造

 文永の役後、幕府から九州探題に任命された北条実政は、博多へ下向し激戦地および海岸一帯を巡視した。博多付近の防備が不十分なことを知り、海岸に沿って石築地(ついじ)を組み上げることとなった。その下命の…

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