プロジェクト【介護人材の育成】筑豊発介護業界の課題解決を目指す/他にまねできない「独自の研修カリキュラム」を提供

 老人ホームなどの施設を利用する高齢者をサポートする介護職員は、2040年に約60万人が不足すると言われている。しかし、この慢性的な課題を解決する有効な手段は見当たらない。独自のカリキュラムで介護職員を育成し、こうした課題に対応しようという新たな試みが、福岡県の中央に位置する桂川町で始動した。

深刻さ増す慢性的人手不足 来年度は32万人との予想も

NPO法人「人間賛歌」の介護職員初任者研修は、施設への通所者8人が第1期生となった

 介護職には、入門的な位置付けとされる「介護職員初任者研修」、その上位資格で、かつてのホームペルパー1級や介護職員基礎研修に該当する「介護福祉士実務者研修」、介護資格の中で唯一の国家資格「介護福祉士」の3種類がある。介護職員の必要数を厚生労働省は、来年度に243万人、40年度に約280万人と予想。他方、介護業界は慢性的な人手不足が指摘されており、来年度に約32万人、40年度に約69万人が不足すると言われている。さらに、介護業界は、高齢化も大きな課題となっており、「令和4年度介護労働調査」(公益財団法人「介護労働安定センター」)によれば、65歳以上の労働者が「いる」と回答した事業所は69・1%だった。
 介護業界が人手不足に陥っているのは、主に三つの要因が指摘されている。(1)少子高齢化の加速(2)高い離職率(3)採用の難しさ─だ。(1)に関しては、IT(情報通信)技術の導入による業務の効率化の推進、介護関連資格の取得推奨、パート介護士の採用、外国人労働者の受け入れ強化といった方法により、課題解決に取り組む事業者が増えている。それでも、あるデイサービス(通所介護)施設の施設長は「生産年齢人口が少なくなっている一方で、介護が必要な人は年々、増えている。とてもではないが、民間事業者の努力だけでは人手不足に対応できない」と指摘する。
 他方、(2)に関して同調査結果によれば、22年度の離職率は14・4%(前年度14・3%)。全産業の平均(15・0%)と比べても高くないが、「離職者の7割以上を勤務年数3年未満が占めるのは軽視できない」(前出の施設長)点だろう。さらに、(3)に関しては、労働環境が未整備な点が多いことと関係が深いと言える。同調査では、労働者の労働条件・仕事の負担に関する悩みなどについて、「人手が足りない」が52・1%(同52・3%)で最も多かったが、「仕事内容のわりに賃金が低い」が41・4%(同38・3%)、「身体的負担が大きい」が29・8%(同30・0%)と続いた。

独自カリキュラムを実施し 課題対応目指す「人間賛歌」

 NPO法人「人間賛歌」(福岡県桂川町)は、介護業界における複数の課題解決を目指した取り組みを今年度から本格的に開始した。第1弾として今年4月から5月にかけて約2カ月間、介護職の入門的な位置付けである介護職員初任者研修カリキュラムを実施。介護の基礎的な知識や技術を学んだ受講修了者は、訪問介護などで利用者の身体に直接、触れる身体介護が行えるようになる。新しい事業を実施する理由を相良五郎理事長は「介護職は無資格でも始められるが、初任者研修の受講者は応募できる求人の選択肢が広がる。就職や転職にも有利になるため」と説明する。この発言には「高齢者施設は、厚労省が定める人員配置基準を順守しながら運営する必要があるため、職員が一人、欠けるだけでも大きな痛手となる。従って、受講生には新たな就職先が見つかる可能性が高い」という読みがある。
 同法人は、保健・医療・福祉の増進、社会教育の推進、子どもの健全育成などを事業の目的とするほか、一般企業などへの就職が難しい人に就労の機会や生産活動の場を提供する就労支援B型の事業所を運営している。従って、介護業界が畑違いの同法人にとって、需要が見込めるというだけでは、新たに介護職員の育成事業に参入する理由は乏しい。しかし、相良理事長は「他ではまねできない独自のカリキュラムを提供することで差別化を図りたい」と語る。この「独自のカリキュラム」とは、一般的な講義や演習に加えて、「心の健康教室」やカウンセリング、就労体験、調理実習が含まれていることを指す。
 今年6月から正式にスタートする研修の受講生は、各地のハローワークを通じて毎月10人ほどを募集。また、他県からの受講生を受け入れる合宿セミナーも実施する。対象者は、うつ病患者、長期不登校者や引きこもりの人、知的障害者、高校生。第1期生8人は、施設に通う軽度の知的障害者だ。ちなみに「心の健康教室」とは、マイナス思考をプラス思考に変え、自身を大切にする心を涵養(かんよう)することで、対人関係やストレス、悩みや迷いなどが原因で生じる心の病気の改善を目指すというもの。相良理事長は1986年から教室を開設し、これまで相談に応じたのは、本人のほか家族を含めると1万人以上に上る。
 医師でない相良理事長がうつ病患者を受講生の対象にしたのは「門戸を開放することで、これまでの経験を生かして悩みを抱えている人たちに人生の選択肢を加えたかったため」(同理事長)。さらに、長期不登校者や引きこもりの人にとっては、本人だけでなくその家族にとっても社会復帰に向けた一歩を踏み出すきっかけになると考えた。
 他方、知的障害者は介護補助として働けるため就労の機会が得られ、家族にとって好ましい環境が生まれる。就労体験は、同法人の施設での実施やボランティア活動を予定するほか、調理実習は、包丁など調理器具の使い方を習得することで作業機会が増えるという狙いがある。また、企業にとっては障害者の雇用義務を果たせるほか、都道府県の労働局長から最低賃金の適用除外が認めれるケースも想定できる。さらに、相良理事長は「職員同士の関係がギクシャクした時、知的障害者がその緩和剤になる。例えるなら、ウニが入った箱の中にテニスボールを入れて揺らし続けると、ウニのとげが取れるように」と自身の経験を踏まえて説明する。
 同法人は、高齢者や障害者の通所施設、グループホーム、高齢者の入所施設などが融合した事業体の構築を目指している。相良理事長は「夢の実現に向けて、まずは新規事業を軌道に乗せたい」と語る。
(竹井 文夫)